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2017年10月31日火曜日

若し思春期に無駄な努力をしていた経験が将来的に役に立つ様な制度があったなら、将来の為に何らかの形で生かすべきではないだろうか?次世代に還元出来ることがあれば形を変えて制度化できる事は形にすべきではないだろうか?

2017年10月30日月曜日

近代国家が出来る時は国民の存在が必要だったが。イキナリは出来ないので、中間的地方権力が必要だった。中間的とは国民の素材としての員数と国家との距離の詰め方の問題の解決であった。即ち国家は国民が支える物と言うアイデンティティの創造と維持の問題としてあった。国民の側からは国家に参加する意識と経験と歴史も必要であるので、国家と共に歩んでいると言う意識が必要である。必要であった。この視点は現在の政治を観るに当たって必要であろう。先に述べた中間的権力の政治過程を経て近代国家の出現に到るのであっただろう。
日本は独自の戦略論を持たなければ世界の中で生きては行けない。独自の強み及び個性を持たなければならない。それを武器にして世界を渡る事である。何を選択するかは「物造り」である。物を造るとは常に新規の物である。世界に無いものを請け負って造るということである。必要とされる物は需要を掘り起こす事に他ならない。世界は何を求めているのかと探すのだ。探す為には情報収集である。情報収集の為には言葉を常に検索チェックする事である。製品そのものでも良いのだが肝腎なのは製品になる前の凡ゆる物に共通した素材である。その様に遡って需要を引っ張り出すのだ。
ここで政治の話。自民党の自主憲法論は最早今の時代には議論に耐えなくなって来た。何故なら、自民党の政策自身が矛盾だらけになっているのである。自主憲法論を片方で言っておきながらアメリカとの関係は自主とは言えないからだ。アメリカの言いなりになることが国是となってるらしいのだ。こんな自主なんてありますか?これは自主と言う事をはき違えているからであろう。野党に議論する意欲もなければ、ほぼ日本の自立的民主主義への道は閉ざされただろう。日本に民主主義を標榜した政治勢力が現れなかった理由がこれで解る。