七井誓リンク

七井誓関連ブログLinks▷❶「目黒三丁目構造学派」「Try J'alphabecte」⑦ローマ字実験工房「TOURING IN J'ALPHABCTE」③「目黒イドラ方丈窟」
④「ユルログ目黒・大鳥田道界隈」⑤「今週のトーラー=パラシャーפרשת השבע」=中断中/
ご質問、ご批評、ご批判、悪態は こちら にメール下さい。
ブログの各タイトルテキスト(日、時、曜日の下)をクリックするとコメントフォームが記事の下に現れます。
是非コメントを書き込んで下さい。
記事の末尾に「/…」の記号がある場合、記事の推敲乃至書き掛けです。更新があり得ます。

2014年6月30日月曜日

何を議論しているのか!集団的自衛権

この国は何の議論をしているのだろうか!集団的自衛権の議論は二重の意味で国民の目を逸らしているとしか言えない。個別的自衛権が議論の余地なくあるのならいつ個別的自衛権を発動した事があっただろうか?殆んど架空の問題がさもあるかの様に集団的自衛権の議論の中に紛れ込ませているのではないのか?個別的自衛権の対象となり得る事案は複数あるのではないだろうか?集団的自衛権とは同盟国の特にアメリカの起こす戦争に国民的議論をせずに直接政府が関与したいとの思惑が透けて見えるのだ!又、軍産複合体の下請けに日本、日本の企業が入る事を意味しているだけであろう。

2014年6月26日木曜日

国家の責任、自立。  

日本と言う国として自立すると言う事はどう言う事だろうか?これは一種の「喩」なので一人の人格のような事にはならないが、国の責任という在り方はある筈なのだ。但し、日本は権力の源泉を天皇制に求め、それが一旦、破綻した筈だったが、周辺の権力の処分を自らの手で行なう事はせずに戦勝国に任せてしまったことが自立して行なう事に関わる事から免れたと錯覚を起こしてしまったのだろう!権力がしなければならない事は民に寄りそう事だったのではないだろうか?昔の日本は全く無謀な戦争をアメリカ等に対して起こし、無駄な犠牲のみ排出しただけに終わった。更に惨めな植民地に成り下がったのです。未だに植民地から抜け出してはいないのです。アメリカを敵に回した事は迂闊だったと言うしかありません。負けたから植民地になったのではありませんでした。日本の権力が首を差し出して軍門に下ったのです。敗戦によって国民は権力によって売り渡されたと言って良いも同然でした。アメリカが悪いと言う事はないのです。アメリカは誘惑に勝てなかっただけです。アメリカは日本と言う国を作り変えようと尽力したけれど力を行使する事も忘れなかったと言う事に過ぎませんでした。問題は日本の被植民地根性です。上から下までです。情ないのは権力者自身が躊躇いもなくアメリカの力に自ら靡くと言う選択をした事です。その選択が日本の経済的な発展に貢献した事を以って義とされてしまったのです。これが自立的選択だったのでしょうか?/……  

2014年6月24日火曜日

計算の働いたパフォーマンス謝罪   

野次を飛ばしたのは本人が一番知っている事なので後になってハッキリした時の社会的制裁の方が大きいに決まってました。そこ迄は本人は理解出来た様ですが、何を如何に謝罪するかの根本が解ってないので、頭さえ下げれば何とかなると思ったのだろうかペコペコするばかりではないか!政治家は言論人でもあるのだから言葉を尽くして改めて謝罪したら良いのだ!   

2014年6月21日土曜日

都議会とセクハラ野次  

 
都議会のセクハラ野次は既に不規則発言であるから議長が訴えを受理しないのは都議会の運営の役割を放棄しているとしか思えません。野次の主は議長が特定する立場なのではなのか?野次の本人が一番解ってる筈なのだから自主的に名乗り出るべきです。既に議会運営規則に反しているのですから、名乗り出るのは議員の義務でもあります。拒否するのであれば警察に出てもらうしかありません。  
 

2014年6月16日月曜日

集団的自衛権容認議論のお粗末さ  

現在、政府が集団的自衛権容認を閣議決定に持ち込もうとしているが、抑もあり得ない想定の場面を設定して議論を進めているではないのか有事の邦人救出には米艦は出せないと米軍が断ったのにも拘らず、それを前提に米艦護衛を架空にでっち上げて議論しているとはどう言う事なんだろう?あり得ない想定を前提に議論しているとは一体どう言う事なんだろうか?架空の議論を幾ら続けても意味がない事ではないですか?  

2014年6月15日日曜日

思想の社会的、政治的表現     

  
この社会の中に生きるに当たって社会運動として表現せざるを得ない人達がいると言う事も理解しておかなければならないと思います。社会運動は社会的な地位の問題でもありますので唯騒ぎ立てていると言うのとは違うと思います。勿論、別の自己実現の方法もあるのですが、社会は政治的でもあるので政治的に表現せざるを得ないと言って良いと思います。
反面、宗教家は必ずしもこの様なメカニズムに対して理解があるとは限りませんので、偏見について自省が充分とは言えないところがあります。偏見の発信源になる場合も往々にしてあります。と言うより、偏見の発信源そのものです。
    
  

日本の少数民族に文字を!

日本の少数民族とは誰であろうか?
①アイヌ民族?彼らはアイデンティティーを形成して来ただろうか?アイヌ民族と他者(倭人)から呼ばれる事はあったが、自らの領土、政治体制を主張しただろうか?自らの文化を主張をしたかも知れない。明治時代からアイヌ民族を研究した学者はアイヌ民族の言葉を記録する時に仮名文字を使用しましたが全く不十分な記録しか残せませんでした。お粗末としか言えません!アイヌ民族自身もそれを受け入れて来た様に思えます。アイヌ民族は自らの表記を子孫の為に持つべきと考えます。
②小笠原欧米系住民?彼等もアイデンティティーは持ちながら、文化の形成には関心は持っただろうか?情報が無い為これ以上は述べる事は出来ません。
③朝鮮民族?彼等はもっとアイデンティティーを形成して良い筈なのです。彼等は日本の中の少数民族としてオリジナリティーを持つべきだと思います。故国の国籍(南北の)、政治に振り回される必要は無いと思います。朝鮮民族として誇り高くアイデンティティーを保って良いのです。文字はハングルと言う固有の文字があります。④中華民族も同様です。⑤その他のアジアの民族も同様です。東南アジアの国々は自前の文字を持つ国ばかりです。⑥沖縄は民族の自覚を高めるのなら独自の文字を持つべきです。日本はアジアの各民族をアイデンティティーを維持しながら受け入れるべきです。国籍も二重国籍を認めるべきです。その代わり日本に大いに貢献して貰えば良いのです。そしてアジアの各国との絆を深めれば良いのです。日本はアジアの多民族国家としてバランスの採れた繁栄の道を歩むべきなのです。アジアの民族が日本に貢献すると言っても日本人が特権を持つと言う意味ではありません。飽くまで協力関係を築くと言う意味です。

   
数字信仰と民主主義       

   
組織=企業等は数字を見て全てを判断される事になっている。これに文句を言うものは泣き言を言ってるに等しい。しかし、あらゆる矛盾は数字が全てだとの信仰の元に生まれているので、軌道修正の為の論理を組み込めないのです。     

2014年6月14日土曜日

人口減少を対策する  

 
国家の人口増減は当然の自然的プロセスとして有るのですが、人口の需要供給を地方の自治体の政策に応じて募集、移出のネットワークを作り、その過程で絶対量が不足するなら日系外国人を呼び戻す事もあって良いのではないかと考えます。自治体は固有の産業を起こしつつ丁寧に人事募集をし自治体の住民として終生共同体人として受け入れていくのです。移出の方法として近接職種どうしを繋げてリレーする方法が無理が少ないと思います。しかし、幾ら近接職種とは言え主観が働くところでもあるので十分な理解の上に行なわなければならないと思います。  
 

2014年6月12日木曜日

 
教皇フランシスとネタニヤフー首相との口喧嘩寸前の事  

 
日本では大したニュースにはならないが、ローマ教皇がイスラエルを訪問してネタニヤフー首相と会談した時、ネタニヤフーがイエスはヘブライ語を話したと述べたら、教皇フランシスはイエスはアラム語を話したと譲らなかったと言う。どうでも良い事で口喧嘩になるところだったが、こう言う事はヨーロッパキリスト教の偏見的土壌がポロっと言わしめる事で、教皇フランシスも偏見に支配されていると言うボロが出てしまったと言う事です。何故、イエスはアラム語を話したと言うのかは、事実は定かではないけれど、アラム語を話したという事がユダヤ人の言葉を話さなかったと言う事によって暗にユダヤ的背景を消し去りたいと言うキリスト教会の願望、利害を体現してしまっていると言う事です。逆にイエスのユダヤ的背景を強調し過ぎて、キリスト教の権威付に利用する思考回路を持とうとするキリスト教宗派もあるくらいなのだ。最早キリスト教とユダヤ教の思想的な関連付けをする事自体が無理な事なのですが。キリスト教が余計な秋波を送る事自体が宗教として破綻している事を暴露しているようなものですから何をか言わんやです。  

2014年6月11日水曜日

国家衰退期にどうするか?  

日本は今後人工減少期に入り国家維持に難関を迎えると官僚を中心にして慌てふためいている有様です。これを解決する為のアイディアは幾つかある筈です。人口そのものは移民で補う事である筈なのにあまり積極的な動きが認められないのは何故なのでしょうか?又産業開発に全く背を向けた状態です。過去の産業構造にいつ迄もしがみついているのが現状です。世界が欲しがっている産業を世界にセールスする事が原発事故起こしたにも拘らず原発をトップセールスとは何と情けない事だろうか!もっと世界が望んでいる産業がある筈です。世界はリスク管理に自信を失いかけています。安心を心から欲している筈です。ところが、今の日本はアメリカの保険資本が席巻しようとしています。日本の市場をアメリカの資本が抑えようとしているところです。日本の資本は世界に進出して生き残る事をしなければ、やがて日本の資本自身が衰退して行く事は目にみえています。資本の衰退が国家の衰退にそのまま繋がるのか解りませんが、国力は衰退するであろう事はハッキリしてます。巨大な資本を良しとする訳ではないのですが、国家維持の為の規模は集合体として必要であろうと思います。
日本は明治維新型の国家形態に破綻し、消滅し掛けた国家です。殆んど消滅しても良かった国です。その反省を抜きにこの国の維持については語れない筈なのに、経済と言う甘い汁にドッップリ浸かって国家の体、矜持を放棄して形ばかりを生き延びたのです。何をすべきか何をなさざるべきかを国民と明確に契約もせずに政権維持のみに汲々としてきただけの官僚型保守政治でした。
国家衰退期を迎えてる事は知識人にとって認めたくない事かも知れません。知識人こそ国家的な危機に際して逃げ腰になる存在です。我先にと逃げ出すかもしれない存在です。これ自身は非難する事は出来ないと思いますが、国家的な空洞化を招く事になる訳です。  

2014年6月10日火曜日

今こそ日本は独立をしよう!   

日本は名実共にアメリカに支配された植民地だとの古いタイプの主張をする積もりはありませんが、国家の運営においては独立、自立をしなければならない事はハッキリ主張したいと思います。別にアメリカを敵にするとか言う事では全くありません。判断に於いて主体的にすると言う事です。アメリカに過剰に基地提供をして住民の負担を掛けて事実、利益相反していることに対して交渉して解決することは国家として当たり前の義務です。交渉せずにアメリカの利益を最優先すると言う国家としての姿勢が批判されなければならないのは当然です。アメリカは日本がいつも自分から折れてくるのを不思議に思っています。自分の言い分を引っ込めたまま交渉の場に現れる日本の外交官には不信感すら湧いて来ようと言うものです。   

2014年6月8日日曜日

性欲の危機管理  

若い女性から幼児まで痛ましい事件が続いています。これらは女性の危機管理の問題かも知れません。男の弁護をする訳ではありませんが、これは男の性欲のコントロールが全くできていない事が大きな部分を占めていると思われます。性欲をコントロールしなければ犯罪になると社会的な教育がなされない事によります。この世にお行儀の良い男なんていません。男自信が抑も性欲をコントロール出来ない事に苦しんでいるのです。しかし、絶対に現実を直視し、性欲をコントロールしなければならない事を教えるべきです。校長の様な男でさえ若い女性の色香に簡単に負けて警察のお世話になってしまうのです。そして反面に女性は防衛の為の策をシッカリ考えなければならないのです。お互いに教育の関門を潜っておく必要が絶対にあるのです。犠牲は必ず弱者に集中します。不幸を防がなければならないのに、警察の捜査は不幸が起こってからしか始まらないのです。そんな単純な事を社会は放置してるとしか言えません。更にはそんな社会を見透かして、冤罪に貶める事すら可能なのです。人物破壊をしようと思えばこんなに良い方法はありません。どんなに不名誉な事であろうと、冤罪であろうと、迷惑防止、公然猥褻を認めて刑を終わらせて出てくるしかないのです。  

2014年6月6日金曜日

法曹界の体質改善が急務ではないのか?  

現在の民法は明治時代のものをそのまま引き継いでおり現状にそぐわない矛盾を多く抱えたままだと言います。法曹界は自らの遅れた部分を見直す機会を自ら持たないのだろうか。法曹界が如何に無風の境地に甘んじているのかが判るというものです。民法に限らないでしょうが、憲法が滅多に手をつけられない問題とは違い、もっと現状に合った内容に変えるべき、即ち現実の問題を解決し得る様にする事が筋ではないかと考えます。法曹界的発想の中に民を支配すると言う発想はあっても、民の為の制度にするという発想はないのが透けて見えるのです。/……  
世界には多くの民族がアイデンティティーを携えて存在しています。それが国家利益と対立する事は十分あり得ることです。国家が優先的にすべき事は規模の如何を問わず一国内の民族の自治を高度に維持出来るように配慮すべきです。そして、一国として包含し切れない要素が少しでもあるのなら自治から更に独立へと至る様に国際的な基準を定める必要があると思います。内政干渉と拒否する権利は無いと共通の認識を条約として定式家すべきです。
<

2014年6月3日火曜日

科学者の奢りが事故を引き起こしたようなもの!
フィールドは確実に広がっている事を忘れるな!        

現代科学者達が錯覚している事はフィールドが本来未知の部分が広大な筈にも拘らず、フィールドのフロンティアは終わったと錯覚しているのではないかと思わせるところが見えるのです。その結果が電力会社の原子炉事故に表れているのではないかと思います。科学者の奢りがあったと思わざるを得ないのです。原発は科学者の妄信によって進められたのです。政治家、行政、私企業が後をついて行ったに過ぎません。科学者は誠に幻想を振り撒き結果大誤算の事故を引き起こしたのです。科学にとってフィールドの終点はありません。何故なら、人間にとってはフィールドは多側面に存在するので、科学者はその総てを見渡しているとは限らないと言う事なのです。傲慢な知ったかぶりは必ず墓穴を掘ると言う事に尽きると言えます。        

「柔なやかな強さ」を探す  

日本に今足りないものは「柔なやかな強さ」と言う事を指摘したいと思います。多側面的視野を蓄えそれぞれの領域で豊かな発想を繰り出す事です。柔軟な発想を持った人材は沢山居るのですが、偏向した権力関係の裏に隠れて表立って見える機会が少ないのです。