| TPP交渉に参加するのかどうするかで如何にも決めかている風を装っているのだが、世論の風向きを見ているのかわからないが、目標を曖昧にしたまま国民を議論に巻き込む事がフェアではないと感じてしまうのです。もちろん結論ありきで進める事は反対ですがやはり、叩き台というのは必要ではないでしょうか。また、議論の途中で素材を全て調べ直す機会はあるべきだと思います。早い話証拠調べの機会です。交渉は相手にお願いする事ではありません。国益に沿って首の振り方を自分で決めれば良いことなんですよ! |
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2013年2月22日金曜日
2013年2月21日木曜日
| 繰り返される死刑執行後の是非論議 |
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もう現行の法務大臣が署名して死刑を執行する制度を改めませんか?死刑執行について政治が介入し得る制度に疑問を持ちます。冤罪防止を言う人もいる事は承知していますが、それ自身は司法の制度的不備である場合が殆んどなのですから、冤罪を防ぐという議論を別途深めるべきでしょう。 寧ろ法務大臣が政治的に介入する事の恣意性を問題にすべきでは無いですか?今の議論のレベルは丸で「法務大臣がよく三人も執行したな」と半分悪者扱いでは無いですか?その度に被害者感情に鑑みて…や現行制度の維持…をいちいち説明しなければならないんでしょうか。問題が整理されないままにメディアの議論が先行するのは混乱に拍車をかける事になります。 また、アムネスティなどの「国際的に死刑制度少数派論」は議論の契機が私は理解出来ないのです。日本独自の議論、制度にして何ら問題は無いのでは無いでしょうか?外国から学ぶべき点も多い筈ですが、どう学ぶかは議論を深化させなければならない事なので、まず、議論の応答がしっかりなされるべきと思います。 また、法務大臣の署名など執行権限を次官以下に引き下げるべきです。また、執行権限を法務省と裁判所に分ける方法もあると思います。即ち法務省次官以下の事務的な権限の部分の執行権と裁判所の令状の二重のチェックで執行する事にしたらどうでしょうか?或いは冤罪防止の為の審査機関の創設を合わせて制度改革の議論を進めるべきではないでしょうか?何れにしても現在の議論の進め方では余りにも貧困過ぎます。問題を分けて整理しなければ、議論は実りません。 |
2013年2月20日水曜日
2013年2月18日月曜日
| 『 安倍の理ッ屈 』 |
| 経済に対してどんな見識を持つのかはご自由です。正しいと思った政策をとって下さい。但し、私は経営者たちに労働者の賃金を上げて下さいと首相自ら頭を下げる事は労働者を甘やかすと言うか、子供扱いをして良いことではありません!賃金を上げる事については労働者自身の手での健全で自発的な要求を待って経営者たちが回答、決断する事だと思います。労働者は充分団結権も保証されてるのですから、労働者の自発的な要求が無くてわざわざ出向いて用意してあげる種類の事では有りません。そんなことを繰り返したら労働者は自分の権利の在り方すら気がつかなくなる過保護な弱い存在になってしまいます。同情の様な事をしないで下さい。そうではなく、労働者も経済の活性化に参加出来る事が自ら解った方が良いのです。『安倍の屁理ッ屈』に軍配が上がる事は長い目で見て危惧する者です。但し、中小企業労働者に対しては、団結権が不十分であると思うので、安倍氏はそう云う事にシッカリ目を向けても良いのではないでしょうか?労働者に少しでも目を向ける気持ちがあるのなら、と云う意味です。そこまでは考えて良い筈の事です。しかし、労働者は今大人しくしてる場合じゃないですよ。『安倍の理ッ屈』が上手く行くとは未だ決まってはいないのだから。失敗したら自分の懐が真っ先に全部ぱあ〜ですから! |
2013年2月16日土曜日
| 夫婦別姓と言うより、姓名問題をトータルにカバーして考えないと… |
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選択的夫婦別姓など姓に関する議論が間歇泉の如く噴出しては休止する事がありますが、常に不毛なまま議論を弄んでは、消滅していきます。議論の発想は必ず、①F問題=女性の特に『職業を持った女性』にとっての結婚後の姓の問題。②I問題=『家族の一体感』の維持の問題。この二つの問題がぶつかって議論が休止してしまう。何と硬直した議論しか出来ないのだろうかと思います。①F問題の特徴は女性の社会的地位の問題に隣接乃至直結しているように見えると言う事ですが、②I問題の特徴は制度の問題ということだと思います。どう云う形態にせよ夫婦別姓の問題を取り上げる為には側面の違う問題を同時に解決する事は難しいに決まってる訳です。両方同時は無理ではないでしょうか?或いは片方を改善してそれがもう片方を包摂出来れば良い訳です。即ち、制度を修正しても、女性の地位の問題が片付き、家族のアイデンティティーの崩壊が起こらなければ良い訳です。選択的夫婦別姓などと一見自由に見えますが、固定した結論を拙速に出さなくても良いのです。その為には制度的な敷居を高くする必要は無いのです。 結論として、①個人名と家族名=アイデンティティー名の問題を分ける。②家族名の継承記録を制度的に残す。③姓名の選択を更に自由にする。家族名=アイデンティティー名を変更出来る機会を幾つか多く設ける。例えば、結婚時、離婚時、社会的に緊急避難の必要のある時に。個人名は幼名制度の復活=父母が最初に付ける名前と、成人名=長じて自己で付ける名前等を二つ以上許容する。以上で殆んどの問題は解決するものと思います。字数がふえる?コンピューターの時代に何の問題も有りません! (了) |
| 中国軍艦のレーダー照射問題 |
| 、中国軍艦によるレーダー照射問題で中国側に「政府の意思」と「軍の行動」の乖離があったのではないか。共産党と人民解放軍に亀裂が生じているのではないか。という記事は奇妙です。何故相手のお家の事情を慮る必要があるのでしょうか?レーダー照射がどう云うシグナルなのか相手も解ってる事でしょうからどんな結果になるか覚悟の上で行なったんじゃ無いんですか?だったら、日本は回避行動を正しくやったのか、やらなかっのたかです。回避行動が適切でなければ、反撃行動をです。そう云う議論の順になるんじゃないでしょうか?相手も日本がどういう反応をするか試してる筈ですから、おとなしくしていればそれだけ不利に働きます。適切であればどんな反応してもそれが答えですから冷静に対応を準備しておくすべきだと思います。何の対応の準備も考えておらず、対応が後手にまわってばかりいると相手も計算違いせざるを得無いでしょう。 |
2013年2月15日金曜日
| 日米安保と自己決定権 |
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日本は戦争総括が十分出来ないまま米国の勢力圏に小ぢんまりと収まってしまったけれど、戦後はそれはそれで平和を充分に享受出来た訳ですから良いのですが、しかし、翻って考えてみると何かを忘れちゃあいませんか?日本は日米安保を平等に交渉の末に選んだ事だったのでしょうか?条約改定時に交渉は出来た筈なのに交渉そのものに消極的な事実は無かったでしょうか?不平等なら堂々と主権を張って交渉すれば良いんですよ!交渉しなければ相手にも解らない事なんですよ!どうして卑屈なんですかね?何か脅されでもしてましたか?官僚の過大解釈に引き摺られましたか?どの国とも仲良くしてくださいよ!しかし、失ってならないのは自己決定権です。国家単位でも、個人においてでもです。国家が健全な自己決定権を放棄すると精神の頽廃を招き、自律的行動をとる気風が廃れ、幼稚な他者依存の精神しか育たなくなりますよ!幕末に素直に危惧した砲艦に囲まれたら何の手も一切打てなくなりますよ!砲艦は米国からやってくるとは限りません。 話は変わりますが、北方領土の件はこの話と無関係ではありませんよ!尖閣も然り!日米安保が如何に有効に機能してるかが彼国達の最大の関心事であるのでちょっとやそっとじゃ、喰らいついた餌は離しませんよ。政治家達はそれが解ってるんでしょうかね?北朝鮮の様な恫喝的な自律では無く、冷静、理性的、対等な交渉を通してです。 健全な自己決定権に基づく対等な交渉態度は最低限必要です。それを国家の指導者はやって下さい。/続く |
2013年2月11日月曜日
| 日本人と自己決定権 |
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日本の近代化のスタートは『明治維新』と言われてそれを基点として近代化したと言われて来ました。その後紆余曲折あり、昭和二十年に至って漸く水泡に帰しました。何の為の近代化だったのでしょう?日本の近代化を推進した明治政府以降の天皇制を中心とする権力構造は一旦昭和二十年に終結した筈でしたが、天皇制の残滓は何故か生き残りました。よく、天皇の戦争責任が取りざたされた時もありましたが、天皇がどの様に責任を取ればよかったのかとか、抑も責任の所在を求めるとは如何なる事なのかとか、どうも日本人には追及する力は無かったようです。責任を追及しようとすると追及対象の立場に立ってしまう所があり、つい手が緩んでしまうのでしょう。日本人にとって戦争は果たして日本人にとっての戦争だったのでしょうか?戦争をするだけのアイデンティティーは充分に熟成していたのでしょうか? 私はあるとき、元服式について調べていたところ、元服式は江戸時代まではシッカリと武士社会の習俗として息づいていましたが、何故か明治期に入ると急速にその習慣は衰えて行ったようです。明治二十年には殆んど消滅していたようです。元服式と言うのは、日本には稀にみる責任分担の意義を継承する儀式です。武士には切腹もありましたが、武士の中だけの論理に留まっていました。足軽の身分では切腹は許されていませんでした。町人文化にも元服式に影響を受けたと思われる風習も育っていました。商家は商家なりの通過儀礼の風習を育てていました。しかし、それすら何故か廃れ、いつの間にか換骨奪胎!成人式に取って変わられて行った訳です。元服式は通過儀礼ではあるものの、成人としての責任を取るとか、当事者能力を自覚すると言う事が中心的概念にある訳ですから、極めて自律的な思想でもある訳です。文字違いの自立も同じですが、人が自己決定権を行使して、生存する事の謂いですから、手放してはならぬ概念であろうと思います。しかし、明治の世が進むにつれて近代化と云う名の西洋化が進むと、天皇制を中心とした非倫理的な支配原理が蔓延していきました。天皇制は日本人が育んできた高い倫理観を崩し去り、単なる権力装置の維持に腐心する丈の中身の無い行動原理しか残しませんでした。その延長で戦争に敗北した結果は、自ら責任を取る者が誰ひとり現れる事はありませんでした。戦後も戦争遂行を中心的に果たしてきた勢力が責任を表明したと言う話をついぞ聞き及びません。何故かみんなが被害者面しているのです。責任を取りたくなければ取らなくていいのですが、一旦敗北した原理に又無反省に整理しないまま復帰するなど多くの人間が自分の考えてきた事、自分の行なった事を対象化して考えてみる事をしないのです。と言うより、できないのでしょう。これは、精神の衰退現象でしょうか。驚くしかありません。何故戦争に負けたのかを真剣に緻密に考えてみても良いではないですか!精神論だけではなくです。 明治維新以降日本人が採用した論理は倫理観に基くものというより、権威主義的な形だけの形式主義では無かったでしょうか。この様な体制の元で数度の戦争を経験し、如何に合理的な方法を身につける事なく最後には日本を壊滅させてしまったわけです。これでは責任ある日本を領導出来る者が現れにくいのは当然かも知れません。天皇制に憧憬するだけでは価値ある精神活動を望む事はほぼ絶望的だったわけです。どうしても天皇制を維持したければ倫理観の十分維持出来る事を保証し得る体制を木竹すべきでは無かったかと思いますが、今何を言っても遅きに失するわけですが、遅いと言うのは取り戻す事は意義を認める事の出来る者にしか出来ない事なので、これから先においては何が出来るかを考えなければならないでしょう。それが日本人=日本国民が『自己決定権』というものを を見直し、リセットするしかないでしょう。 『自己決定権 』が責任ある全ての人々が取れる態度で健全な思考ではないかと思うのです。/続く |
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