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2018年4月29日日曜日

止まらない筈の地球の自転が、徐々にスピードを落としているらしい。止める抵抗が宇宙に無いから動き続けているが、速度が落ちているという事は、宇宙に抵抗力があるという事であろう。その抵抗力が何であるかは解らない。私が素人考えで想像するに太陽が放出する微量のガスではないかと思う。
日本の政党は内向きで非戦略的である。保守与党政党の戦略思想は戦略の代わりに単なる対米追随しかなく、野党の戦略思想は無きに等しい。戦略論議もなく憲法改正論議を始める辺りは議論慣れしていない日本の風土が透けて見える。戦略は本気で議論しなければならないのに日本人は言葉を持たない為、議論すら始める事も出来ないでいる。日本に何が足りてないかを整理検討する事が戦略論の手初めである。何が足りて何が足りてないかを直ぐ検討すれば良いではないか!議論の質レベルを見極めようではないか!そして、自立した国家運営が出来ようというものである。

2018年4月28日土曜日

民主主義の何たるかが解ってるなら、野党の質問とか国民が知りたがっている事に積極的に協力して説明をすれば良いじゃないですか!それを防衛的に否定するから憶測を呼ぶ事になるんですよ!本当のことを国民に言ってスッキリしちゃいましょうよ!

2018年4月27日金曜日

まさかの朝鮮半島和平対話だったことは日本も歓迎すべきであろう。新しい平和の枠組みを理解して周辺国として協力すべきだろう。本当の平和を造るのは朝鮮民族総ての努力しかない!隣国国民として祝し、応援したい!

2018年4月25日水曜日

現代のビジネス成功者達は現代の価値観に敏感な者達ばかりである。現代の価値観を熟知し、それに僅かの変革を付けたせただけである。私の様に総批判は絶対にしない。総批判では利益を得られないのである。🙏

今又解散?何の為に?

国会が混乱気味であるからと言って解散風が吹かせると言うのは国民の為を丸っきり考えてないではないか!これは単なる恐喝、恫喝政治ではないか!この政権が今の状況から逃げたがっている事の証拠である。という事は後ろめたい事があると言ってる様なものであり、独裁政治、強権政治と全く変わらないという事ではないか!次に私達は別の政治形態を模索するべきなのだが、🙏

2018年4月23日月曜日

日本人を北朝鮮が拉致して、幾ら交渉しても帰さない。これは国家の恥と思わないのだろうか?自衛隊を乗り込ませて取り返してくる事位は一回位は検討したのだろうか?法律があるなしに関わらず超法規的に実行すべきではないのか?被害者家族は最早これ以上は待ってはいられないだろう。拉致は誘拐と言う犯罪である。北朝鮮は国家ではなく、犯罪者集団である!

2018年4月20日金曜日

日本列島は各地で地震が多発して、火山性のものも多い。日本列島の大規模地震や富士山噴火など心配である。 微動など兆候は無いのだろうか?大規模地震の対策は進んでいるのだろうか?どこか諦めてはいないだろうか?

2018年4月13日金曜日

相撲の土俵上女人禁制は何が理由か?

古代の人々は誰でも男女問わず働き手であった。働いて祭事の時は男女問わず参加したのである。相撲でも男女問わずであった。しかし、相撲は激しいスポーツなので、女性が万一妊娠していたら、流産のリスクがある。本来は女性の不浄感ではない筈である。古代の人々の性倫理は現代人のものとは大きく違っていた筈である。妊娠は極普通の現象だったろうし、女性不浄感の原因だった出血は女性自身が隠すのが普通だったのではないだろうか?女性不浄説は疑わしいと考えるべきではないだろうか?女性の妊娠出産を保護することが目的説を提起する。

2018年4月9日月曜日

右翼友人の死

私の友人が去年死んでいるらしい。彼は南郷継正に傾倒していた。インターネットの噂によるが、死の何の確証も未だない。彼もまたブログを書いていたらしい。どんな風に死んだかは恐らく腎不全ではないだろうか。彼が透析をしていた事は知っている。入院した事もあるのを知っている。彼は右翼的であった。それも奇妙な理論であったが。私が彼の右翼性の度合いを能く知らないから程度が解らないが、私から言わせれば彼は観念的な右翼だったのではないだろうか?というのは私は彼を試そうと思って「元服式復興運動」をけしかけたのであるが、私は本気だったが、彼の本気度がイマイチだった。結局共有は出来ずにポシャッたのである。私は右翼だろうと左翼だろうと自立した運動にしたかった。要するに日本の社会に定着する様に商売になる様にしたかった。冠婚葬祭業の一角として。私の構想は既存の冠婚葬祭業にプロデュースして、小笠原流以上の本業として定着させる事だった。彼は特に議論好きではなかった。議論によって積み上げて行く方法は好きではなかった様だ。議論は強いて言えば、私のお得意芸だった。彼は弁証法なるものが好みで、私は煙に巻かれていたのだ。もう議論は永遠に交わる機会がなくなった。

2018年4月8日日曜日

日常を改革するトーラーの発想

普通の生活者であれば、トーラーの喩は何の説明かはたちどころに解る筈である。ところが、あるクリスチャンは信仰とは何か特殊な事と考えている様だ。しかし、トーラーには特殊な事は書いてあるわけではない。寧ろ逆である。特殊な事に考えがちな所に乗り込んで行ったアブラハムの家族以降の物語と考えたら合理的なのだ。トーラーは日常生活に埋没した生活者には不向きかも知れないが、少しでも日常生活を改革する気持ちがある人達にとっては心に響く書であろう。
日本の知性を養う筈の大学入試に共通の知識を求める試験は必要だろうか?非常に疑問に感じる!知識の正さなど何の意味があるだろうか?知性は発想こそ問われて価値がある筈である。大学が学生が欲しければ、只で募集するべきだろう。募集後に創造力を掻き立てて人間を育てて社会に送り出すだけで良いではないか!