日本の近代化のスタートは『明治維新』と言われてそれを基点として近代化したと言われて来ました。その後紆余曲折あり、昭和二十年に至って漸く水泡に帰しました。何の為の近代化だったのでしょう?日本の近代化を推進した明治政府以降の天皇制を中心とする権力構造は一旦昭和二十年に終結した筈でしたが、天皇制の残滓は何故か生き残りました。よく、天皇の戦争責任が取りざたされた時もありましたが、天皇がどの様に責任を取ればよかったのかとか、抑も責任の所在を求めるとは如何なる事なのかとか、どうも日本人には追及する力は無かったようです。責任を追及しようとすると追及対象の立場に立ってしまう所があり、つい手が緩んでしまうのでしょう。日本人にとって戦争は果たして日本人にとっての戦争だったのでしょうか?戦争をするだけのアイデンティティーは充分に熟成していたのでしょうか? 私はあるとき、元服式について調べていたところ、元服式は江戸時代まではシッカリと武士社会の習俗として息づいていましたが、何故か明治期に入ると急速にその習慣は衰えて行ったようです。明治二十年には殆んど消滅していたようです。元服式と言うのは、日本には稀にみる責任分担の意義を継承する儀式です。武士には切腹もありましたが、武士の中だけの論理に留まっていました。足軽の身分では切腹は許されていませんでした。町人文化にも元服式に影響を受けたと思われる風習も育っていました。商家は商家なりの通過儀礼の風習を育てていました。しかし、それすら何故か廃れ、いつの間にか換骨奪胎!成人式に取って変わられて行った訳です。元服式は通過儀礼ではあるものの、成人としての責任を取るとか、当事者能力を自覚すると言う事が中心的概念にある訳ですから、極めて自律的な思想でもある訳です。文字違いの自立も同じですが、人が自己決定権を行使して、生存する事の謂いですから、手放してはならぬ概念であろうと思います。しかし、明治の世が進むにつれて近代化と云う名の西洋化が進むと、天皇制を中心とした非倫理的な支配原理が蔓延していきました。天皇制は日本人が育んできた高い倫理観を崩し去り、単なる権力装置の維持に腐心する丈の中身の無い行動原理しか残しませんでした。その延長で戦争に敗北した結果は、自ら責任を取る者が誰ひとり現れる事はありませんでした。戦後も戦争遂行を中心的に果たしてきた勢力が責任を表明したと言う話をついぞ聞き及びません。何故かみんなが被害者面しているのです。責任を取りたくなければ取らなくていいのですが、一旦敗北した原理に又無反省に整理しないまま復帰するなど多くの人間が自分の考えてきた事、自分の行なった事を対象化して考えてみる事をしないのです。と言うより、できないのでしょう。これは、精神の衰退現象でしょうか。驚くしかありません。何故戦争に負けたのかを真剣に緻密に考えてみても良いではないですか!精神論だけではなくです。 明治維新以降日本人が採用した論理は倫理観に基くものというより、権威主義的な形だけの形式主義では無かったでしょうか。この様な体制の元で数度の戦争を経験し、如何に合理的な方法を身につける事なく最後には日本を壊滅させてしまったわけです。これでは責任ある日本を領導出来る者が現れにくいのは当然かも知れません。天皇制に憧憬するだけでは価値ある精神活動を望む事はほぼ絶望的だったわけです。どうしても天皇制を維持したければ倫理観の十分維持出来る事を保証し得る体制を木竹すべきでは無かったかと思いますが、今何を言っても遅きに失するわけですが、遅いと言うのは取り戻す事は意義を認める事の出来る者にしか出来ない事なので、これから先においては何が出来るかを考えなければならないでしょう。それが日本人=日本国民が『自己決定権』というものを を見直し、リセットするしかないでしょう。
『自己決定権 』が責任ある全ての人々が取れる態度で健全な思考ではないかと思うのです。/続く
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