| 国家の運営者、政権担当者は自らの趣味とか好みで運営をしてはならないと思います。もし、その様な自覚がなくても自分がその様な運営をしているだろうかの自省をくりかえすことが必要です。自省とはバランスをとっているかの検証です。ただ単に政治勢力のパワーバランスをとるという事ではないと思います。それはかなり自覚的な知的作業になります。知的作業と言う事は合理性、整合性も求められるものです。安倍晋三氏らの靖国神社参拝は一見日本国内では何の変哲もない神社参拝に見えますが、英霊に敬意をはらって何の問題もなかろうと思っていたのでしょうが、宗教性と云うのは自覚が、無ければ無い程他者からは違和感の付き纏うものです。我々が見る事が出来ないところを他者は感じてしまうのです。我々は逆に他者の感受性につい無頓着であったりしますのでその様な意味でのバランス感覚があっても良いのです。政権担当者は自分の感性までもが他者に見られている事に自覚的でなければならないと思うのです。必要以上に力に頼ったりする事になりますので自覚的に注意を払う必要があろうかと思います。 戦前は国家の運営がアンバランスな面があったと思います。国家の運営は近代国家においては宗教性とは一線を画す事が、それを表面化しようとしまいと、必要な事だった筈ですが、戦前の国家運営者は自覚的な整理をして来なかった事があり、寧ろ宗教性を国家宗教として利用して来ました。その方法に対する反省の機会を失ったまま戦後に入った為、宗教性を客観的に相対化して見る事が全く見られなかった事実があります。日本においては宗教性は相対立する集団が殆んど育たず、多くの場合が各集団が緩い承認関係にあり、例えば同一人物が複数の宗教に関与することが見られると言う事は従来から指摘されて来たことでもあります。宗教的差異が日本人には問題になり難いと言う現象があると云うことです。 最近では日本に労働力としてイスラム教徒が増えた為、イスラム教徒の死亡者を埋葬する必要が出て来ました。そこで或る仏教寺院(山梨県)では埋葬の土地を融通して提供したと言う事実がありますが、その仏寺の住職の分け隔てのない行為には敬服の念を持ちますが、同時には日本人に特有の自らの宗教観から他宗教を解釈しているに過ぎないと云うことも事実でしょう。即ち自らの宗教と他宗教との差を区別する基準を持たないと云うことでもある訳です。区別とは別に自己の宗教に対する客観的な評価を持たない、持てないと云うことでもあります。 ですから、靖国神社参拝が何故悪いのかと云う風に考えてしまう事になると思います。こちら側からしかものが見えないと云う事になるのです。日本人には他者が介在する経験がない事はなかったのですが、その経験は思想的な成熟をしないままに終わる事が多かったと思います。 その点、世界には客人の存在に礼を尽す文化が多くあります。日本の「お•持•て•成•し」を発信することを育てる事は意味のある事だと思います。 |
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2013年12月30日月曜日
| 政権担当者はどの様なバランス感覚を求められるのだろうか? |
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